マイファームタイムス 師匠の帰還(The Return of the SHISHO)~超ベテランアドバイザーが農園に帰ってきた~

2021年12月6日

スタッフコラム

師匠の帰還(The Return of the SHISHO)~超ベテランアドバイザーが農園に帰ってきた~

はじめて“師匠”に会った時の印象は、「なんだこの変わったおじさんは…」だった。

今から約7年前。
私が27歳。師匠61歳のことである。

 
この“師匠”というのは、「芦田さん」という、関西のベテランアドバイザーに対する、一部スタッフ内での通称である。

ほかにもこの芦田さんは、「寒吉」という別名(ペンネーム?)も自身で持っていて、「寒吉さん」や「寒吉っつぁん」などと呼ぶ人もいる。
(ちなみに、大阪の箕面にある「寒吉ファーム」という弊社が運営する貸し農園の名前は、芦田さんのこの別名が由来である。)

 
芦田さんは、2010年に体験農園の管理接客を担うスタッフ(アドバイザー)としてマイファームに入社した。

※なお体験農園の管理スタッフは、2021年現在は「アドバイザー(正式名称:自産自消アドバイザー)」と呼ばれているが、2012年頃は「ファームアドバイザー」という名称で、私が入社した2013年ごろは「管理人」という名称だった。

2012年刊行の『荒地からの挑戦』という、マイファーム代表の西辻の著書にも、芦田さんの写真が載っていたりする。


↑ 若かりし頃の西辻社長と、芦田さん

 
本記事では、芦田さんのことを「師匠」と呼ぶことにする。
 

・ ・ ・

冒頭の話に戻ろう。

私が師匠に初めて会ったのは、今から約7年前の2014年。
当時私は27歳で、マイファームに入社してしばらく経ち、当時の「農園事業部」という、体験農園の運営をする部署に移籍したときであった。

はじめて会った場所は、たしか、京都府宇治市にあるマイファーム宇治農園だった。

私は当時、体験農園の管理のやり方についても、それこそ野菜の栽培についてすら、ほぼ素人であった。
そんな私が、農園管理の現場でまず教えを乞うたのが師匠であり、マイファームのアドバイザーの心得、マイファーム農園の管理の心得のようなものを、現場で教えてくれたのが師匠であった。

 
師匠との農園での作業で、記憶に残っているエピソードがある、

その年の秋、マイファームの体験農園の空いているすべての区画に野菜を植えて、収穫体験ができるようにする、「ヤサイコ」というプロジェクトをスタートすることになった。(※2021年現在はヤサイコはサービス終了)

私はプロジェクトの全体管理を担当し、当時関西のメインの実働部隊として動いたのは、社員のSさんと、そして芦田さんだった。(+各農園のアドバイザースタッフ)

動ける人数は少なく、時間もない。

そんな中で宇治農園には、「白菜とキャベツの苗を400本植えよう」ということになった。

苗を植えるという段になって、師匠は
「マルチやネットなんかいらないよ」
と言って、畑の雑草を刈ってそのまま枯れた枯草の中に、ポンポンと白菜の苗を置いた。

普通、苗を植えるという作業は、土を掘って穴を空け、穴に苗を入れて、土をかぶせてポンポンと抑える。
加えて、保温のためのビニールマルチや、虫除けのための防虫ネットを使う、というのも良くあるやり方である。

でも、苗を枯草の中にほぼ置いただけ。

え、こんなんでいいんですか?と私は思った。

しかし、私の心配をよそに、枯草の中に放り込まれた苗たちは、その後しっかりと根付き、すくすくと成長を遂げた。
そして、一部のキャベツと白菜は虫にやられたものの、いくつかの立派な野菜が収穫できた。

 
すごい、と思った。
 

↑ 探したらその時の写真が発掘された。これが枯草の中に植えた白菜。


↑ 400本の苗を手際よく植えた。

 
師匠は私たち若いスタッフのことを、よく「へっぽこ」と言っていた。
師匠からしたら、その程度のことで感動した私など、さぞ「へっぽこ」であっただろう。
(※ちなみにいまでも私は栽培や畑作業に関しては「へっぽこ」のままである。)

 
師匠とはそれ以外にも、冬の餅つきイベント、「キンカントマト」という原種トマトの栽培プロジェクト、サツマイモやソラマメの大規模栽培など、いろいろな思い出深い取り組みをしたが、もう一つ全く違う部分での、師匠のエピソードを紹介したい。

 

↑「第3回 キンカントマト食べ比べ会(2015年)」より。前列左から二番目が師匠。
 

師匠のすごいところは、栽培の知識や技術ももちろんなのだが、もう一つある。

畑の現場では「へっぽこ」の私であったが、(他に人がいなかったせいもあってか、)関西の農園のマネージャー的な立場になり、その後、農園事業部の部長をすることになってしまった。

当時、農園の現場を担うアドバイザースタッフの方々というのは、私よりも社歴の長い人も多くいて、60歳以上の人生の大先輩の方も多かった。
そんな、名目上の立場以外はすべてが上のスタッフたちを、へっぽこマネージャー、へっぽこ部長は「マネジメント」しなければならなかった。

現場の意見を聞きつつ、会社の上からの方針を現場に伝える、いわゆる中間管理職のしんどさである。
ぶっちゃけ、大変だった。

時には、かなりキツイ意見をもらうこともあった。
もらったメールを見て、頭を抱えることが毎日のようにあった。
もちろん、それが悪意ではなく、会社のためを思っての厳しい意見であることはわかっていた。とはいえ、若輩のへっぽこ部長にとっては、きつかった。

そんな中。

当時のアドバイザーの中でもかなり古株であった師匠が、会社の方針に対して何か意見をしたり、師匠から何か文句を言われたことは、私の記憶の中にはない。

師匠は、
「自然」を、「畑」を、「土」を、「野菜」を。
そしてマイファームの農園と、農園で野菜作りを楽しむ利用者さんだけを、いつも見ていた。
(ように思う。)

 
その後、私はしばらくへっぽこ部長を務めたのち、産休・育休をいただくことになって部長の職を辞することになった。
私がそんな自分の事情でバタバタとしている一方で、師匠は師匠で体調を崩し、マイファームを退職した。

師匠が退職するということを間接的に聞き、残念だとは思ったが、体調の問題であれば仕方ないと思った。

 

・ ・ ・

それから数年の歳月を経た、2021年の秋。
師匠が、マイファームに戻ってきた。

師匠は、京都市の西にあるマイファーム西山農園の1区画を使って、弊社が発行している野菜づくり雑誌『つくる通信』の付録のタネを栽培し、その様子を「体験農園マイファーム」のサービスサイトのブログに書く、という仕事をすることになった。
そして私は、そのブログの校正や掲載を担当させてもらうことになった。

師匠が送ってくれた3つめの原稿に、師匠がつくった14㎡の畑の写真があった。

黒ビニールマルチを使わず、燻炭を1センチの厚みで敷く。
畑の外枠は、山から切り出した竹を割って自作した、竹杭を使う。

そうだよ、これだよ。
これが師匠だよ。

師匠がマイファームの農園に帰ってきた!!!

 
▽師匠が綴るブログ連載「自産自消スタイル研究所の栽培ノート」はこちら
https://myfarmer.jp/blog/category/jjstyle-note/

▽師匠が畑作りのこだわりについて語るYouTube動画はこちら

※YouTubeでの動画視聴はこちらから↓
https://youtu.be/OduvnkVRKEY

 

↑ 師匠は、地下足袋や畑のデザインにはめちゃくちゃこだわる。
(だけど服は、いつも同じようなシャツとズボンを着ている。)

 
そんな師匠を、今や知らないスタッフも増えた。

この記事は、そんな師匠を知らない社内スタッフに向けて書いたものであり、また、師匠本人に向けて、これまでの感謝と今後ともよろしくお願いします、の気持ちを込めて書いたものである。
(なかなか直接は言えないので、公の場(?)であるこのブログをお借りしました。すみません。)

 
とにもかくにも、師匠が元気に戻ってきてくれて、本当に嬉しい。
師匠の活躍を、マイファームの歴史の一部として、記録として残していきたいという所存である。

もしよければ、上記の連載ブログやYouTube動画、ぜひご覧ください。

 

 
※師匠のエピソードは、個人の主観が多分に入っております。実際とは相違があるかもしれませんが、ご了承ください。
※本記事タイトルは某長編大作ファンタジー動画のサブタイトルをもじっています。


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